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  3. 20180606号 タイトル:「“当たり前のこと”の大切さ」

今日は関東、近畿、東海地区も梅雨入りしました。いよいよ本格的な雨季ですね。 「梅雨」というのは「梅の実が実る頃に降る長雨」という意味もあるようですが、ほ どほどに降ってほしいものです。

自然は人間の都合に合わせてはくれませんから、人間は自然の方に合わせて生 きています。誰も自然に文句を言う人はいません。仕方の無いことだと受け入れて 生きていくしかありません。

こんな気持ちを同じ人間に対しても持つことが出来れば、随分と平和に暮らしてい けるのではないかと思います。認め合い、譲り合って、話し合っていければ対立や 反目、そして戦争など起こりようがないのではないかと思います。相手を自然のよ うに思えるかどうかですが、そのような目で見てみると、相手が違って見えるかも 知れません。穏やかになれそうですね。

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写真は柿の葉です。今の季節の柿の葉はまだ若葉で葉肉も薄いので光がよく通 ります。太陽の光を緑色に染めているかのようです。『柿若葉』というのは俳句の 季語にもなっています。それくらいに、瑞々しい感じがします。私のパソコンのデス クトップには今この写真を張り付けて楽しんでいます。

木の下も 日の下もよし 柿若葉       森 澄雄 作


★柿若葉  2018.5.26 筑紫野市天拝山の山麓にてにて撮影

“当たり前のこと”の大切さ

私の書棚に「生と死の妙薬」という古ぼけた本がある。レイチェル・カーソン著「沈黙 の春」の翻訳本で1964年に出版されたものだ。父が買ってきて、机の上に置いてい たその本の表紙に、中学三年生だった私は目を奪われてしまった。それは荒涼とした 景色が抽象的に描かれ、見るものに不安の伝わってくるものだったからだ。

読み始めると、そこには農薬が環境に与える深刻な影響が書かれていた。「公害」に 対する世論もこの書がきっかけとなり、農薬の規制や生態系保全への世界的な動きに 繋がった。その告発の原点となる書に少年時代に巡り会えたのは幸運だった。私の人 生を貫く大切な視点の一つになったからだ。

この本は或る寓話から始まっている。「自然は、沈黙した。薄気味悪い。鳥たちはど こへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。」「春が来た が、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソ サザイの鳴き声で春の夜はあける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だ が、今は物音一つしない。」と。

私たちが目にする景色には必ず様々な音やにおい、温度や湿度、太陽光の強さや 角度などが伴っている。例えば、山々が青々としげる5月の景色には、ウグイスやホト トギスの声が伴っている。ツバメの囀りも耳に入っているだろう。蛙たちの鳴き声も聞こ えているかもしれない。風の中には椎の木の放つ癖のある匂いをほのかに感じながら。

そんな当たり前のことが突然無くなったら、その時に初めてその存在の喪失を意識 するのかも知れない。夏の景色を見る時にそこには必ず蝉の声が聞こえているはずだ。 蝉たちの声がもし無かったら、私たちは大きな異変が起きていることを感じ、その不気 味さに身構えるだろう。当たり前のことはそれほどに私たちに安心と安定をもたらして くれている。

地球温暖化が進行している中で、当たり前のことがじわじわと損なわれつつある。 その結果、“沈黙の春”は突然ではないが、長い時間をかけて目の前に現実化しつつ ある。50年前のレイチェル・カーソンが鳴らした警鐘に、私たち(命あるものすべて)の “当たり前”を取り戻すために、もう一度耳を傾ける必要あるのではないだろうか。

今日もスズメたちの声がどこからとも聞こえてくる。餌を運ぶ親鳥の声と、それをねだ る雛たちの声が入り交じり、普段よりもその声が賑やかだ。この季節と彼らの声は一体 のものだ。子どもの頃から聞き慣れた声を聞くともなく聞きながら、穏やかな気持ちで暮 らしている私がいる。

教育文化研究所
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