
私が子どもの不登校のことや、これからをどう生きていこうかと考え迷っている頃に、しっ
かりと話を聴いてもらったことがあります。そのことで私なりに考えをまとめることが出来て
前に進めました。
ちょうど20年前のことです。今から思うと、それが“傾聴”だったように思います。傾聴を
してくれたのは、70歳半ばのMさんという女性でした。私の話を「そうなんやね」、「どう
したものかねえ」など、相槌を打つくらいでただただ聴いて下さったのです。私の迷いや
悩みに寄り添って、一緒になって考えて下さいました。
どれくらいの時間が経ったのか忘れましたが、話し終えたときに、Mさんが「これからも一
緒に考えていこう」と微笑んで下さったのです。その時、そうだ一緒に考えてくれる人が
いるんだ、自分ひとりで悩まなくてもいいんだと心底思えたのです。そう思うと、安心し、
落ち着いて考えることが出来るようになりました。
Mさんは「傾聴理論」などを学んだ人ではありません。人生経験の中で彼女自身が身
につけたものです。あの優しく穏やかな態度は、Mさんがたくさんの愛を家族や友人た
ちから受けたからこそ生まれてくるものではないかと思います。愛されて育った子どもは人
を愛し信頼する人間になります。Mさんはきっと愛に包まれて生きてきたのでしょう。
私も祖父母をはじめ、父母など家族の愛、友人や知人たちからの友情に包まれて生
きてきました。それを一時期、競争社会の中で企業戦士になっていた頃、すっかり忘れ
てしまっていました。勝ち組・負け組のような偏狭な世界の中で一喜一憂の毎日を過
ごしていました。そういう自分に気付き、本来の自分を取り戻すきっかけになったのがM
さんの“傾聴”だったのです。
あれから20年経ち、今度は私が不登校や夫婦関係などの悩みを受ける側になりまし
た。その際にMさんの“傾聴”を思い出すようにしています。あの時の安堵感は、ただた
だ聴いてもらえたことで感じることが出来たからです。それは彼女の“愛=隣人愛”から
発するものだったのではないでしょうか。私も隣人愛で相手の人を包み、共に生きてい
こうと思って、向き合うように心がけています。
私の前に居る人を、この時代を共に生きている仲間として意識できるならば、おそらく
自然とその人の気持ちに寄り添い、一緒になって考えていくことが出来るように思いま
す。大切なことは、答えを出すことではなく、共に考えること、そういう仲間であり続ける
ことが“傾聴”という形で相手の話を聴くことができるのではないでしょうか。
“傾聴”は方法でも理論でもなく、相手への“愛”そのものではないでしょうか。
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